日本京都のLeilaaと共に国境を越えて Tamalyn Dallal著

YALLA MAGAZINE 2013 SUMMER p32-35 日本語訳

世界の情報

日本京都のLeilaa(レイラ)と共に国境を超えて  

TAMALYN DALLAL

2009年にレイラというダンサーが大阪のWSで私に近づいて来た。

「中国である、あなたの1か月間WSに参加したい。」彼女は言った。

9か月後、私たちは一緒に中国にいた。この時が、私の初回の1か月間集中ダンストレーニングWSだった。その年から毎年教えており、今年で5周年となる。

この1か月間WSは、毎週30時間のクラスがあり、午前に3時間のテクニッククラス、午後に1時間の歴史や文化、音楽に関しての座学クラス、そして1か月間WSの最後にあるシアターショーに向けたリハーサルが2時間ある。

レイラは、ザガット(ジル)を使ったダンスなどいくつものダンスで秀でており、サムソンとデライラの物語を劇場表現にした作品で、主役のデライラ役を演じた。

彼女は、中国の1か月間WS3年連続で参加した。その間にダンスの技術、芸術性、表現における計り知れない成長を実感した。それは、奇跡のようだった。

中国での1か月WSに加えて、レイラはエジプトを何度か訪れた。2010年に彼女がナイルグループフェスティバルに参加したとき、私たちはエジプトで会った。翌年、私がレイラにサハラ砂漠の中心奥深くにあるシワオアシスに行くと話すと、彼女も一緒に行きたいと言った。そして現地での文化体験をほんの数日間するために、はるばる日本から飛んできたのだった。

 

私たちは、たくさんの友人を訪ね、現地の女性や子ども達とお茶を飲み、夕暮れ時の砂漠にドライブに行ったりした。その辺りの砂漠は砂の海と言われ、砂丘にはコイン型のウニ科の生物や貝殻が見られた。翌日、私たちはシャリを登り、その廃墟を眺めながら素晴らしい朝食をとった。

私は、なぜ電話が動かなくて誰もメールを送って来ないのかと尋ねた。

ウェイターは、「知らないの?革命が起こっているんだよ。」と言った。

「シワは、唯一安全な場所だよ。ここに、とどまりなさい。」とシワの人々が私たちに言ったが、我々はカイロに向かうことを選び、辛うじてエジプトから脱出したのだ。

レイラは日本に帰れた。しかし、私の飛行機はキャンセルになった。私は滞在する場所もなく、すべての道は自警団員により閉鎖されている、映画のようなどうなるか分からない状況に置かれていた。しかし、ついに暴動の中心をタリール広場をそれて行く、ぼろぼろの小さなタクシーをつかまえることができた。

レイラは、この大変なエジプトの旅の後も、私とのアドベンチャーに期待を失わなかった。彼女は、2011年7月ザンジバール ダンスと文化学び場に参加した。この文化的体験というのは、地元の人々やミュージシャンとの交流だった。教室で学ぶのも一つの方法だが、実際の生活に触れる文化的な経験は、ダンサーを育てる時重要な部分であると言える。

そしてついに、レイラがアーティストとしてできること、彼女が日本でしていることを私に見せたいというときがやって来た。それは、彼女の最初の大きな作品だったが、どんなものになるか想像できなかった。

ワクワクしながらのインドネシアからの一晩のフライト後、大阪でのリハーサルを思いだす。少し目がかすんでいたが、私は喜びを感じていた。常味氏を中心とした4人の素晴らしいミュージシャン(バイオリン・カヌーン・ダラブッカ)が、寒空の下現れた。常味氏(ウード)は、日本で古典のアラブ音楽の第一人者である。彼は、数多くの日本の演奏家にアラブ音楽の演奏について教えている。

 

ウードタクシームやドラムソロそして、私の最もお気に入りの曲のひとつヤ ムサーフェル ワフダックを踊ったときは、本当に楽しかった。常味にトレーニングされているミュージシャンは、1000年以上前のアラブやアンダルース地方の学校からくる古典音楽や、より最近のエジプトのゴールデンエイジ(1930年代から1970年代前半)の古典音楽を、とても高いレベルのアラブ音楽を奏でた。

次の2日間の夜は、レイラの生徒のためのザガット(ジル)の振り付けに費やした。4時間の間に、生徒たちは振り付けを学び、フィンガーシンバルも習得し、パフォーマンスと言えるものとなった。その行程に、私は感動した。

レイラがプロデュースしたショーは、タクシームという名前だった。

それは、4エレメント(要素)と5つの楽器という魅力的なテーマで構成されていた。そして会場は、テーマ同様魅力的な、能楽堂!

能楽堂は、中近東のショーに似つかわしくないと感じる方もあるかもしれない、しかしこの場所には期待を上回るものがあった。私はまた、観客にも感動した。

観客達は、エレメントや楽器、そしてそれぞれのダンスについて説明されたプログラムを手にしていた。私はショーの一部を観ていたが、観客みんなが頻繁に注意深くプログラムを見ており、ダンスや音楽の理解の手助けをしているよう感じた。

前半の録音された音楽でのダンスは、主としてレイラによって振り付けされ、彼女の生徒たちが踊った。

演目は:(キャンドル)、大地これはザガット(ジル)のダンスで私が生徒のために振り付けした、そしてレイラによる振り付け、福井から訪れたダンサーが踊ったものと、レイラが生徒のために振付けたベールで水を描いたダンスであった。

後半は、伝統的なエジプトの楽器に焦点をあてたものだった。録音された音楽で、レイラの生徒の1人が、ミズマールをスティックを使ったとってもよいパフォーマンスで表現した。彼女のフィーリングはとってもすばらしく、経験を積んでいるプロダンサーだと思った。ネイアコーディオンを表したデュエットは、とっても創造的なものだった。1人がネイを、もう1人がアコーディオンを表現した。彼女らは一緒に踊ったのだが、ハーモニーの様で同じステップを踏むのではなかった。

休憩の後、生演奏が始まった。エリッサが、カヌーンのタクシーム(即興)とウムカルスームのエンタオムリを踊った。ダンスの間に、まるでコンサートのような楽器だけのオーケストラ曲が何曲か演奏された。レイラは、バイオリンのタクシーム(即興)に続き、ラマバダを踊った。私は、常味氏のウードのタクシーム(即興)とヤムサーフェルワフダックが踊れて本当に幸せだった。それから、レイラと私が二人で、ドラムで踊った。最後には、すべての出演者がフィヨウムウィレイラを同じ振り付けで踊った。これは、予想していなかったフィナーレだったが、結果的にはとても美しいものとなった。

レイラの最初のプロデュースを成功に導いた要因として考えられるのは、多くの国々での彼女の経験とトレーニング、そしてその土地の人々と時を過ごしたこと、それらが文化に対しての尊敬の助けとなり、彼女の作品は誰が見ても高い芸術性となった。それは、彼女から彼女の生徒にも受け継がれていた。

レイラは、私に習い始めた時既にプロフェッショナルのダンサーだった。彼女は、プロでありながら集中的に学んだのだった。それから、彼女はエジプト、ザンジバールで色んな経験をつみ、そして確実にこれからも世界中でダンスと生活の経験を続けていくでしょう。それぞれの経験は、アーティストへの新しい視点生み出すのである。

彼女の生徒でさえ、芸術的な感性を持ち備えていた。そこに競争はなく、純粋な楽しみがあった。それらは、新鮮で、新しい創造力である。それぞれのダンサーは、踊ることに心から幸せを感じていた。そして、それらはショーの中に感じられた。特別な、とっても日本らしいフレーバーが、アラブのショーへと自然なかたちでブレンドされていった。それは、文化的で、芸術的で、中東的で、営利目的でもなく、ナイトクラブでもなく、喜びに満ち溢れていた。生徒だとはいえ、純粋な芸術になっていた。私は、とても感動した。

 

このショーは、私にとって多くの学びの場であった。会場について:小さくて落ち着いていて、靴を脱ぎ、観客は畳の上の座布団に座る、そしてすばらしいコミュニケーションがアーティストと観客の間に存在する。それは、会場のととのえられた色調、適切な照明や音、そしてそれぞれが自分の役割を真剣に捉え、たくさんリハーサルを行うことで成し遂げられ、だからこそこのショーは結合力のあるひと団体のように見えた。すべての中で最も素晴らしいことは、それがなされた精神だ。つまりは、制作者のレイラにさかのぼる。彼女はみんなが何をするべきかをしっかりと伝え続け、みんなが高いレベルで目的を果たせる様に導いた。このショーは、私たちのダンスを芸術へと確実に高めてくれるものだ。

私自身や私の作品のコピーはそこにはなかった。新しく、新鮮なものであった。私がLeilaaのベリーダンスの扉を開くことを手助けし、技術を教えてきたことが、Leilaaの生徒にも着実に受け継がれている。私のコピーではなく、それぞれのフィルターを通して咀嚼表現され、その純粋な魂と共に観客の方に伝えられている。生徒達でさえ、芸術的感覚を兼ね備えていた。このショーを観て、私はleilaaの先生として誇りに思う。

翻訳:Leilaa Hiromi/Yuki